『その暁のぬるさ』鹿島田真希

これまた鹿島田らしい小説で、分かりやすい「物語」を拒否した、純文学らしいといえば純文学らしいもの。ただし純文学らしいとはいえ、鹿島田のような作風は他にはあまりない。
いかにも小説的な常套的な言い方を避け、なるべく簡潔な言葉を使って表現し、そして更に大きな特徴として固有名を使わない。別れた恋人はつねに「あの人」、唯一特徴のある女性はつねに「和紙の方」だ。固有名にうそ臭さというか抵抗を感じて、「A」としたりただ「男」はとしたりするような小説は過去にも随分あったとは思うが、鹿島田の場合は、おそらく小説を書く以前にすでにそこにあるかのような「自我」も信じていないのだろう。年齢と性別と名前を与えた瞬間から、作者と読者のあいだに約束事のようにたちあがって前提とされてしまう何かを信じないこと。細かいリアルなエピソードを重ね、人物を造形し、そこにある感情を暗黙に伺わせるのではなく、ダイレクトに感情そのものを吟味してしまうような小説。
普通に固有名を与えられるような小説を読むのにどこか気恥ずかしさを少しでも感じさせる事ができれば、それだけでもこういう小説の存在意義はあるのだろう。この小説に人工的なものを感じるくらい、他のいっけん普通の小説も人工性を感じてみるべきなのだ。
もうひとつ面白いのは、この主人公が超越的な視点を持ちながら、俗っぽいありかたも全く拒否していないところだ。そこに不思議な味、この小説ならでの固有性を感じる。
ただし、面白く読むためには、どうしてもやはりもう少し起伏的なものを求めてしまうなあ。