『夢枕に獏が・・・・・・』木下古栗

この人はどん欲な人だ。タイトルでまず笑ってしまう。どんなバイオレンス劇が始まるんだろうかと。だって本読む人がこのタイトル見たらある作家を連想せずにはいられないし。
そして一行目からして滅茶苦茶だ。エロ本を常食ってどういう発想なんだよ。
そして途中、爽やかな大気を吸って二段ブースターで爆笑しつつ、行き当たりばったり的な構成にまた驚かされる。当初のコンビニでの乱闘劇が収束したと思ったら、まったく別の物語が語られ始める。なんと「僕」が出てきて、メタ小説(物語についての物語)のようになる。登場人物が、僕の物語(エロ本を常食にする人がいる)を信じなかったという設定だ。そんなの勝手に登場人物動かせばいいじゃんと思うが、なぜか今作はメタ小説らしく、物語を語る覚悟のようなものが生真面目に語られるのだが、その生真面目ぶりが却って物語をおちょくっているかのようである。そして後半は、主人公が「貴様」だ。
そして物語は、再び、エロ本を食すという物語が、別のものを食すという形で終わる。
さて、それでは、神話が崩壊した現代僕はそれでも新しい物語を語っていくのだ、というあのメタ部分での生真面目な語りは実践されたのかというと、実は意外と結構実践されてしまっているのではないか、という気がしないでもない。後半、中年男の部屋に大量の女性の下着がある時点で、下着泥棒的な行為が十分に予想されていたし、それがああいう結果となるのも、今作は予定調和の範囲内の破綻という気がしないでもないのだ。確かにラストの一言は、物語の拒否から構築へこれから向かうとは思えないものだし、ここまで途中バカが出来るこの作家にそういう心配など必要ないだろう。それに、ある程度予定調和の範囲内だからといってこういう物語が人々の癒しとなって働く可能性も皆無だろう。
荒唐無稽ぶりのアイデアを出し続けるのもしんどいとは思うが、是非ともこの方向性で、と願わずにはいられない。神話が崩壊しているからこそ、状況は、別の物語が安易に信じられてしまう可能性を孕みつつあるといっても過言ではないのだ。某社会学者までもが、文学を救おうと、それによって人々をすくい取ろうとして小説なんぞを発表している、そういう状況でそれを拒否する作家は貴重である。メタのメタ部分では「世間」にこれでもかと背を向けて欲しい。