『日々のきのこ』高原英理

人数をよく覚えていないのだが、二人?三人?の主観を交互に配置して、現実に存在しない想像のきのこを創造して登場させる、非リアリズム小説。作者が作り出したきのこが面白いなあと思えばこの小説の面白みもさらに増すのだろうが、そうでなければ、とくにこれといった筋のないもしくは筋の掴み辛い、こういう小説を楽しむのは難しいかもしれない。ある側面から言うならこれは絵画的な小説で、次々と鮮やかに描かれるイメージをどれだけ自分の頭のなかに再現できるか、その労苦を厭わないでできるか。
ところで、いつも見る現実には存在しない自分だけの夢の光景というのがあって、おそらく皆それぞれそういうものはあるのだろうが、己のそれは少し甘美な思いで頭の中に再現したりするのに、他人のそれを聞かされても、何故だかあまり面白くなかったりする。
一箇所、「結局、つまり、実のところ、(中略)こういった語を使わないでものを考えるということ」の一文が面白かった。