『ファビアンの家の思い出』青山七恵

一読して思ったのは、不思議な小説だ、ということ。しかしどこがと言われると、まったく答えられない。
日本の青年が外国(スイス)を旅してくる話なのだが、主人公は現地で案内してくれる友達に頼るばかりで英語すら殆どできない。当然現地の人とのコミュニケーションは、交わされる言葉ばかりでなく、空気を読みながらのものになる。その空気の、日本では味わえないような意味を付与しがたい"間"などが、非常に上手く描写されている。
たとえば翻訳小説など読むとき、外国人が出てくるものでありながら、日本の小説と同じように我々は主人公に入り込めたりする。そして外国の小説でありながら、外国感=外部感がいつのまにか希薄になっていたりはしないか。外国小説に入り込めるこの事が自然になされてしまうという事自体が、不自然ではないのか。なんとも結論つけられないが、青山七恵のこの小説が多くの翻訳小説よりも、ずっと外部を描き出しているという事だけは確かだ。
自分の物語とし辛いが、おそらくそこにも物語りはあるんだろう、そんなふうに感じさせる小説で、これまであまりこういう小説に出会わなかった思いが、私に不思議感をもたらしているのだろうか。