『高く手を振る日』黒井千次

いやあ。女性が躓いたとき体を支えたのをきっかけにキスって、少女漫画ですか、読んでいる方が照れるなあ。と言いたくなるけど、こういう所に目をつぶるならば、よく書けた作品だし、最後まで退屈することは殆ど無かった。
すっかりボケが入った老人(かつての職場の上司)の所へ出向き鮭の切り身をもらうところなどは思い付きでは書けないリアリティがあり、老いの哀しみ、やりきれなさが表現されていると思う。
それと、とりわけ、それまで電話でのやりとりで遠回りしていた言葉が、メールという手段をとったとき、つまり書き言葉になったときに生々しい内面がいきなり吐露されてしまったというのも面白かった。メールというのは電話とは無論のこと、送信するまでの手間の簡潔さから、またハガキや手紙とも違ったりするのだ。
敢えていうなら、己の恋愛相手との関係の伸長を、育てている植物の伸長に重ね合わせるのはベタすぎで、これは必要なかったかもしれない。でもなあ、これはこれで保守的な純文学としての味なんだよな。