『声』津村節子

どこまでが事実か私にはさっぱりだが、夫であるあの作家を悼んでの作品で、以前にもそういうのがあった。今回はなんと夫の霊に会えるかもしれない、という所までいっているのだから、相当に悔いがあるという事なのだろう。
しかしやはり霊媒師に降りてきた霊は夫ではない、というオチ。この小説はその点で文学足りえているように思う。夫と話せた、ではね。そこが猫と会話するような小説と違うところ。
ただしこの作品の作者は、他の霊媒師への依頼者たち、亡き夫と会話できた人達へのまなざしは優しい。まるでそういう事だってありえるだろうくらいの書き方をしている。もちろん、幻想を幻想と切って捨ててばかりいてはコミュニケーションの契機すら危うい事だろうし、幻想に寄りかからざるをえない弱さからも逃げてはいけないだろう。ただ、それが絶対とか確信とかになってしまうと、それはもう向こう側の世界になってしまう。何か不確実なものがあって、それがどちらなのかという賭していくような行為がないと、人は生きていくのはなかなか難しいのではないか。