『第三の愛』鹿島田真希

ここ一年くらいに発表されたもののなかでは一番ストレートな作品ではないか。あ、『文藝』のやつは読んでないか。
鹿島田といえば、2、3の人物を設定したうえで、そこに過剰なくらいに、いかにも"近代文学"という感じの内省をこれでもかと膨らませたり反復させたりした作品が多く、その独特のスタイルゆえに、書かれた事より、そう書く意図ばかりを気にしてしまうのだが、今回は書かれた内容がさきに伝わってきたというか。
手放すこと、自分の欲望がかなえられないことの、甘美さというものを感じた事のある人はどれくらいいるのだろう。私にもかつてそのような事があった筈だが、思わずそれを自覚させてしまわせるくらい上手く書けている。これは自虐的というのとは違う。相手と関わらないからだ。どちらかというとナルシズムのバリエーションかもしれない。第三の愛というのは、自分への愛のことなのかもしれない。
そして、母親に触れられること、そして女に目隠しされること、それらの接触により、あっさり愛が別の段階へと変貌をとげてしまう所も面白い。じつをいえば、愛というものの一番の効能は、あれほど逃れがたかったようにみえた自分というものを、忘れ、そして、予想もしない形で変えてくれることにことにこそある。
そして、その、自分を変えてくれるというのは、相手を変える(歯についた海苔を取る)という事への勇気とともに、その裏側にちゃんと待ってくれているものなのだ。