『特集〜文学と法』

なんかこの特集のあまりのつまらなさから、文學界を今後買うべきか迷い出した気もする。(そして松尾スズキでそれは増幅してしまった。)
それにしても文学者2人(中村文則玄侑宗久)が、新しい裁判制度に対して、旧態依然とした「文学者」であることは興味深かった。自分達は人を裁けるような人間ではない。だから反対だ。そんなのはプロに任せるべきだ、と。インテリである文学者がそれを言うのはちょっと偽悪的で、読んでいてあまり気分がよくなかった。
これが国際紛争ではどうなるか。私らには人を殺せない。そんなのは自衛隊の人がやればいいんですよ。彼らにはそういう覚悟が出来ているんだから。となる。なんか釈然としない。
じっさいには、この国では、人を裁く権利など文学者以上にないような人間が、裁判官(や弁護士、検察官)という「壁」の陰からあーだこーだと人をさんざん裁いて、石を投げてきたのではないか? とくにインターネット上において、それは顕著な現象のように私には思える。たとえば、光市の事件とか。私は、戦時中、自分は手を汚さずに兵隊達に任せ、銃後から東亜新秩序を叫んだ文学者たちを連想する。
都合の良いときだけ我々は「卵」になり、ときには無責任でどこからも崩しようがない「壁」になる、そんなことを正当化するために村上春樹の比喩が横行するのは余り良いこととは思えない。
ちなみにけれども私は新しい裁判制度に諸手を挙げて賛成するわけではない。