『火を盗む』谷崎由依

この作家にしてはいつもより簡明な短文で構成しているように感じられるが、基本線は変わらない。とても技術があり知性も感じさせながらしかし描くことがない、そんな感じだろうか。流産の悔恨とは、いやそれは女性にとってはいつの時代も大きな問題なのだろうが、いかにもここではとってつけたようだ。
そしていかにも意味がありげな既視感が漂う純文学っぽいエピソードと、予定調和的に「なんとなく分かってしまう」主人公。なんとなく了解できてしまうから、どんな非リアリズムな場面がでてきても畏れも恐ろしさもなければ、主人公の迷いや全身が崩れそうになったなんて記述にも説得感もない。火を盗む意味が分かるところ−夢幻的な世界でいきなり主人公が怒って馬鹿にするなと言ったりするが、すぐまたその後風呂に誘われればのこのこついて行く。非現実は戯れるためのものでしかない。そもそも途中で怒るなら、こんな世界に迷い込まされれたその最初から怒れと思ってしまう。最初から怒らないなら途中での怒りも戯れだろう。
もしかしたら全ての源泉は自己肯定=ナルシズムにあるのではないか。恋人に全てを捧げたようなことを言っておきながら、その彼氏が就職活動にはげみ、何もしない主人公を蔑むように見ても、そこで自己は(例えば世界とのあいだで)何も引き裂かれることなく「就職に意味を見出せなかった」で軽く済んで、保持されてしまうのだ。素晴らしい自信と自己本位。たとえば、就職なんて人生最大のうちのひとつであろうものがこの程度の扱いであれば、その後の悩みや迷いなど、言葉との戯れでしかないだろう。まさしく言葉によって景色と戯れるかのような様はあちこち見られるが。(そしてその描写力、情景喚起力がこの作家にはとてもあるから話がややこしく、惜しい。)
そして主人公の職業。ここには余裕しか感じられないのだが、この出版不況といわれるなか、中小の出版社に勤めるのであれば、もっと書くべき何かは出てくる筈ではないだろうか。むろん、べつにそれを書けという訳ではなく、あくまで例えばの話。そういう、主人公に一見そぐわない外部が欲しい。あるいはここまで閉じるのなら、そんなとってつけたような職業に勤めさせなくても良いだろう。世間から隔絶するならもっと徹底的にすればいい。
他人が見た夢の話ほどその本人にとって面白い割にはつまらないものもない、とはよく言われるが、この小説でまた更にそれを実感した。
しかし、こういうのを無いものねだりというのだろうきっと。ここでは、非常によく練られた文章と、ときに鮮烈な比喩などを楽しめばいいというだけなのかもしれない。自己本位だって、谷崎ほど才能のある人ならそれで豪快に突き進めばそれでいいのだ。この余裕のある自閉も、先進資本主義国がもたらした恩恵を示すものとして存在意義は大いにあるだろう。むろんそんな事いったら、それを読む時間的・精神的余裕のある私も含めなければいかんのだが。