『歓び組合』墨谷渉

思ったのだが、すばるでのデビュー作から、少しだけではあるが後退してはいないだろうか。分かりやすいSM的世界に。あの訳のわからなさは一体どこへ。世間からの同情をもって有罪を勝ち取った夫婦が暴力の対象になるところには変奏の可能性を感じたのだが、その部分に格別な詳細もなく、期待はしぼんだ。数値への拘りもそれほど偏執を感じず、なんか中途半端だ。
しかし、アルバートアイラーの朴訥な宗教的豪放さはここにはそぐわなすぎるように感じるのは私だけだろうか。大女の豪放さとと重ね合わせたのだろうか?宗教的な解放感っていうのは、性的な世間からの解放感と、似て非なるぶち切れ感があって、かたや背徳というのはやはり徳があって成り立つがゆえに、切れていない。このアイラーの小説内不自然さは、性的な不自然さと違ってあまり歓迎できなく感じた。