『猫、めだか、邯鄲』青山真治

ほとんどが猫の話。猫好きの人の猫についての話がいかにつまらないかは川崎徹の小説で嫌というほど思い知ったが、この小説も例外ではない。名前の由来とか、なんでそこまで詳しい話を語りたがるのだろうか。猫好きのような人でも、(あるいは、に限って?)生物を恣意的に選別し、ゴキブリとか蜘蛛にたいして容赦ないのもありがちであって、この主人公が鼠に怯えるのもとくに面白くはない。
むろん家族として擬人化するからこそペットはペットたりうるのだから別に猫に人間らしい感情を感じても構わないのだけど、猫ごときにそんなものは絶対にないし、猫に感情がないであろうその事は完璧なまでに正しいことであると全く疑っていない私は、ついていけない。
(牛・馬レベルまで賢い動物となると人と同じと思いたくなる気持ちもわかるのだけど。)
ちなみにもっとどうでも良い事ではあるが、猫(哺乳類)やシジュウカラ(鳥類)、メダカ(魚類)などより、あくまで私の経験上だが、植物のほうがなんか奥深い気がする。