『青木淳悟 「このあいだ東京でね」書評』陣野俊史

久々紙の無駄なのだが、しかも滅多に文句を言うことのない書評ページ。だって余りにひどいんだもん。
この書評纏めてしまえば、青木淳悟は小説らしい作品を書こうとしない素晴らしい作家である、ただそれだけ。一般人でも言えることを書いただけ。青木作品を読んだ人なら誰一人として例外なく、それらが「普通」でないことなどたちどころに了解できるのだから、今更そんな事書いたって。なぜ小説らしい作品を青木は書かないのか、とか書かないことはなぜ素晴らしいか、というのが批評の仕事だと思うのだけど。
もちろん、本屋大賞が注目される昨今だから、読者目線でたんに新しい本を紹介するというのもこういう書評の役割と言われればそれまでなのだが、紹介という点でもおかしい記述が多い。たとえば、青木作品の冒頭の「複数の人間が住居を探し求めていた」にしても、これのどこが不穏で曖昧なのか。これが不穏で曖昧なら、都内やその隣接区域に住居を探し求めている複数の人を対象にした、住宅情報誌などは不穏な雑誌という事になってしまう。住宅情報誌や不動産情報サイトに曖昧さや不穏さを感じる人っているの?
この書き出しが少しも不穏でも曖昧でもないことは、例えばそれに続けて、「○○もその一人だった」と記述して物語を展開すればいくらでも普通の小説たりえることで分かる。
その他、この書評は「東京案内の小説のフリをしながら、」って書くけど、青木の小説はどこもそんなフリなどしていないし、「東京についての小説であることを明示しつつ、」ってどこにもそんな明示なんかしていない。少なくとも題名からは、東京についての小説ではなく、ある出来事についての小説−それが起こったのはたまたま東京、という印象を多くの人は持つだろう。そういうたまたま東京で起こったある特定の物語かと思って読みだせば、いつまでたっても何も起きない、なんだよ東京での生活のあれこれを書いた小説かよ、っていうふうに全く陣野氏とは文字通り逆の方向で肩透かしを食らわせる所が、青木作品の人を食った面白さではないか。
そしてこれは枝葉ではあるが、この書評でいちばんのけぞったのが、「「都内」と「国内外」の両方にアクセスのいいところなど存在しない」と誤読してるくせに断言しているところ。べつに住居を探す人は絶対の地点ではなく比較でものを考えているだけの話なのだが。そういう意味では、たとえば川口と川崎はそれぞれ「都内」は隣の駅だが、都心への距離とか羽田・成田へのアクセスを考えれば雲泥の差で川崎の方が便利であって、品川とか東京駅に住むのでもない限りつねにより便利な地点というのは存在するのだ。
そして「複数の人」のほとんどは品川駅や東京駅の徒歩圏に住むことはなかなか難しいだろう。