『四角い円』円城塔

せっかく文學界新人賞を取ったのだから芥川賞を、と編集者に迫られたのか分からないが、珍しくリアリズム。しかも理系の研究機関が抱える孤立感という社会的な問題まで織り込んでいる。だが作品としては結局前半でやたら退屈な近代文学そのものといった情景描写を読まされ、続く後半では、30代半ばにもなって、俺は真理に近いとこいるけど俺が到達してるところを分からない人を説得できなくても仕方ないね、みたいなやたら格好つけた幼稚な人物のたわごとを聞かされる。作品内で新しい言葉云々言われるわりには、当の作品はひどく古臭い。
この幼稚な人物は、挙句の果ては日本社会なんて少しも多様でないものを多様だとかいってナショナリズムに寄り添う気配すらあって、とすれば、理系の研究者が専門分野ではなく「世界」について語るときしばしば予想以上に凡庸だったりする、ということを改めて示したという意味では意義のある小説なんだろうか。彼らは実際は、目の前の人を説得できなくても、じつは諦めているわけではなくて、本当は自分が考える真理に人々をかしずかせたくて仕方がなくて、誰かが説得してくれれば嬉々として真理を実践に移す。そんな所だろう。たとえば、ナチスユダヤ政策に科学者たちがどれほど大きく関与したか。(偶然なのか、この円城作品にも人口問題が出てくるが、ユダヤ人抹殺問題にも人口問題の側面があったのではないか。)
ところでこの作品に出てくるようなシニシズムと親しんだ科学者は、理想に燃える科学者よりもマシ−危険は少ないとも思えるが、大差はないのかも。「世界」に口出しするなら、まず目の前の人を説得できてからにして欲しいし、それができないならしない方がいい。軍人が政治に関与するな、というのと同じこと。