『おっとうらくの』吉原清隆

別にここみて買う人がいるとは思えないのでそれほど気にしていないのだが、この生来の怠惰に打ち勝って発売期間中に言及できれば良かった、そう思うくらい文芸誌5月号のなかで必読の一作ではないか、と思う。『すばる』なのにね。
この人は前作も面白く、その面白さは、ここ20年のある世代の歴史を鮮やかに描いてくれたことに一面があったと思う。パソコンの創世記の頃のこととか。それが今作は更にスケールアップして、もはやひとつの昭和史といっても良い内容。それほどの分量があるわけでもないのだけど、ポイントポイントが押さえられているせいなのかどうか、確実にひとつの流れを感じさせるものとなっている。
この国がかつて、中国大陸満州に傀儡国家をつくって開拓したことは多くの人は知っているかもしれないが、戦後引き揚げてきて行き場のない人が今度は日本国内をあちこち開拓せざるを得なかったことは知らない人もいるかもしれない。しかもその殆どが農地に適さないような僻地であり、満州で中国人を(不当に安く)雇って開拓するのとは文字通り比べ物にならないくらいのとんでもない労苦を伴うものであったことなども。
そういう意味でこの作品は、忘れられた昭和史、裏の昭和を描いたということに、単純には、なってしまうかもしれない。しかもこの作品は5世代の男性の歴史をたどり、メインで語られるのは3世代なのだが、意図的に分かりやすくそれぞれがすべて末っ子男子でもある。(後のほうの世代では少子化でそうなっているのではあるが。)
いわば余りものたちの歴史なのだ。居場所のないものたちの。居場所がないというのは比喩的でもあるが、大家族だったころには引き継ぐ土地のない文字通りの居場所のなさだったのだ。ただ、この余りが、大陸へと活動を広げるきっかけになったと考えるならば、余りものの歴史こそ正史なのだが。
メインで語られる3世代の最初の世代が国内開拓団の一員、その次が零細鉄工所の工員、その次が中小企業の営業社員。それぞれの余りぶりがじつに見事に語られている。この作品の一番の読みどころはここ、とくに後2者の余りっぷりを描いた部分だろう。鉄工所での単純作業工員としての生活、仕事ぶりなどはとくに工作機械がPC化していくところまで機械の一般名まで詳しく描いて読ませるし、そこで後から入った若い社員に追い出される所もまったくありそうな話。
また、その次の世代の社員研修のバカさ加減などは、これなどはほんとうに身に沁みて分かるという人も多いのではないだろうか。就職活動での内定取得の、そのときどきでの景気による信じがたい難易度の落差のところなども。これらが、まさしくあった話である。
しかし、ここで言っておくべきなのは、この鮮やかに語られる2世代については、余ってはいるものの、決定的な深刻さをもって余っていた訳ではないということだ。国内開拓団の人達のような苦労もせず、まだなんとなく生きられる。路頭に迷い、川原で暮らすところまでは行っていない。団地に住むことができ、何より子供を作ることができたわけなのだから。深刻に考えなくてもやっていけたこれらの世代の生活史は、裏でもあるが、年金問題医療問題税金の直間比率などひたすら先送りしてきたまさに表の歴史でもある。
そしてこれら2世代から遅れた世代のものたちは、この物語のなかで、かつて国内開拓をした人達がかつて生活していた現場へと足を運んでいる。それが暗示するものとは何か。もちろん、これから、数多くの人がなんとなく生きられるというようなかたちでなく、決定的に余ってくるという事なのだ。いやもうすでに来ているという。
そういう構造から考えると、なんとなく余っていても生きていけた世代の二人に、この小説のなかで、きわめて滑稽なかたちで自滅的な対決をさせたというのは納得のいく話である。ちなみにこの対決の場面での、一歩間違えばただただ凄惨な現場になりかねない場面が、なんともいえない滑稽さ、お互いが小説に影響されて下段に構えているところなどはひたすら可笑しく、この小説の大きな読みどころその2なのだが、こういう場面でこういうユーモアを描ける吉原という作家には信頼を抱かざるをえない。
話戻すと、いっぽうで、私は、私自身に近しい世代として、彼らなんとなくの二人の存在にもやはり何かを与えてあげたいという気持ちも強くもつ。どんな世代のどんな人間だって、そこには何かしら己の実存をかけた真剣味はどこかにあったはずで、そう簡単に彼らの何もかもを否定できるほど、第三者的に強い人間など私は信じない。
この小説の凄さは、そういう気持ちにもしっかりと答えてくれるところで、私は、まさか鉄工所の工員が趣味でやっていた家庭菜園がかつての暮らしを乗り越える筈だった農業への憧れから発生しているとは夢にも思わず、驚きともに、身の毛がよだつほどというのは大げさにしても感動してしまった。まさかそう来るとは。感動というのは予期しないと大きくなるものだ。
冷静になって考えればちょっとありそうにもない話なのかもしれないが、まさしく読んだときは感動させられて、つまりはそれくらいの説得力があったのだ、この小説には。