『ポルト・リガトの館』横尾忠則

この作品が小説としては筆頭に掲載されているのだが、『文學界』編集部は何か勘違いしているのではないか。横尾氏といえばビッグネームで、当人が勘違いするのはそれは構わないが、そこは上手くコントロールしないと。まず文章そのものがニ線級で強度が低い。小説の最も大事なところは、話の内容であるとかテーマである、とか考えていないだろうか。むろん、言うまでも無く「言葉」こそがいちばん大事なもの。つまり文章が下手で読み辛ければ、すべて台無しなのだ。「台」とは言葉であり文章なのだ。
また、非現実的な世界を描くのは構わないが、その情景じたい(館の様子など)があまり魅力的に描かれていないし、起こる出来事も詰まらない。
ピカソとダリをケンカさせるくらいなら、たとえばハラキリの美学についてシバレンと三島と寺山修司に語らせた方が何千倍も面白かった。
また夢の中なのか死語の世界なのか、どちらでもない何かなのか知らないが、これほどまでに理性的な思弁ばかりが続く非現実的世界というもこれまた読んでいて全くピンとこない。夢というのは、起こる事はまったくリアルでないくせにそれを見ている方、受け取る側にとっては、リアル感だけは強烈にあるものなのだ。だからこそ面白いのだ。
ダリがフランコ将軍べったりだったという話は初めて知った。そういう情報がこの小説になかったら私にとってはまったく紙の無駄だった。