『瘡瘢旅行』西村賢太

西村氏といえば、けっこう前になるが『文學界』でのインタビューではやたら構えていて被害者意識ばかりが強そうで、あまり良い印象をもたなかったのだが、1作2作と読んでいくうちに、たんに慣れてしまったのか、抵抗感なく読んでいる私がいる。
今回も例によって、同居女性との諍いが描かれるのだが、これまた例によって、まったく男性の側に味方する気持ちはさらさら起きない。とくに口げんかだけならまだしも、体力的に勝るという条件を味方にした行為に、嫌悪感を抱かずにいる事は難しい。しかしながら読み進めるにしたがって、たとえば旅行の際の車窓をめぐるやりとりや、古本屋との交渉が成功に終わったのを全て自分の手柄に言うところなど、呆れるばかりの自分勝手さがもはや幼児性にまで見え、そこまで自分を晒せるのはすごいと思ったり、もはやこの存在は貴重なのではないかとすら思えてくるのだ。
ところで前も書いたかもしれないが、その口げんかの際の言葉使いが、じっさいに世間で交わされるようなものから遠く、ときに文語調でタイムスリップしたかのようで、あるいはバカ丁寧だったりで、その不自然さが逆に読ませるものがある。今回は「カンバセーションしてやるぼくじゃねえぞ」と「この、オリモノめが」にのけぞった。この「オリモノ」という言葉は前作でもあったはずで(オリモノくさい女だ、とか)、西村氏の口げんかの文句には定型句めいた言い回しも多いのだが、そんなにオリモノの臭いというのは気になるものなのだろうか。西村作品で、初めてこんな物言いに出会い、その強烈さで私の中に残ってしまった。実に困る。じっさい口に出すことは間違いなくないけれども。
台詞といえば対する相手の女性の発言はじつに自然に記されていて、ということは、男の台詞も、実際にこの通りに近い発言をしているかどうかは別として意識的に書いているのだろうし、西村氏にはたしかな文章力が備わっているということが分かる。
文章力といえば、今回の小旅行にしたって要点を分かりやすく書いているし、情景も喚起しやすい。何より今回は、同居女性の数々の台詞やまた無言ぶりが確固とした存在感を感じた。旅行についてもたんについていくだけではなく、少しは景色を楽しんだりといった気晴らしもしているかのようであり、男との微妙な距離感がうまく出ている。
物語としても、自分が入れあげている作家の思わぬ隠れた著作を発見してしまった事から、古本屋との交渉にいたる出来事は、さてどうなるのやら、という興味を持続させるに十分だった。松本清張の色紙がそんなに高いものだという事も初めて知った。
と、けっこう誉めてしまったが、最高評価にならないのは、やはり自分の「外側」にいる人物としてしかこの主人公男性を感じられない所かな。自分の性向を血筋のせいにするのは、やっぱそりゃないよな、と思う。