『薔薇色の明日』岩崎保子

一人の男をめぐって二人の女性に語らせる三角関係もの。もはやこういったそれぞれの視点みたいに複数で語らせる事自体が決定的に古臭いし、綺麗な方の女性が、綺麗過ぎるがゆえの悩みを語るに至っては、あまりに凡庸でありきたりで退屈感が極まる。綺麗な方の女性の母親に会いに北海道まで行くのだが、その母親にしても初対面の女性の前で娘に対してとるような態度とも思えず、他の部分がリアリズムなだけにこういった所がテレビドラマかよと思えて、白々しくもなってしまう。
テレビドラマかよ、というのは、二人でボウリングしたりとか林道を無理やり車で突破しようとしたりする所も。
結局この二人はそれぞれせっかく内面に尋ねていながら、内面が壊れるほどまでに徹底しないから、何も変わらない。林道体験やボウリングが少しも体験として内面に作用していないのだ。だとしたらこういう物語を書く意味とはなんなんだろう、と思ってしまうのである。とくに綺麗な方の女性は、酒場で誘われた男性からいわれの無い暴力を蒙りながら、物事への角度が何も変わってないのは、いったい何なのか。そんな体験など、実際には一生あるかないか、くらいのものであるのに。
どうせなら、この男性が二人が北海道に言っている間、三人目の女性とイイ事しているとか、林道で助けてもらった男性につきまとわれてしまうとか、そこまでいくとテレビドラマどころか、却って現実感がなく無茶苦茶なものになってしまうかもしれないが、とにかくそれまでの世界/自己を壊してしまうようなものがみたいのだが。
唯一今日的なのは、容姿のすぐれない方の女性の男性への執着の感情かな。ぜったいに浮気しているのに、自らの保身のためにはむしろその話が出来ない、そういう深刻さはあるだろうなあ、とは思う。