『八月』佐川光晴

愚鈍な昔ながらの純文学だが、これはこれで支持したい。とにかく現実に起こった自己と世界、あるいは自己と他者のあいだの軋轢や齟齬を、文字にしようという情熱がこの人にはある。昔ながらの近代文学のあり方であり、新しさなど全く無い。しかし、全てが新しくなければならない訳でもないだろう。
当事者である者とそうでない者との間の決定的な落差という非常に重たいテーマであって、このテーマ自体も別に色あせたわけではないヴィヴィッドな問題である。とくに昨今のように、ネットで色々な情報に平等に満遍なくあたることが出来、皆が当事者である前に評論家的に振舞うような現在にあっては。
むろんラストで、汗をかき足らないとなってしまうのは、言語でない世界、高倉健的ヒロイズムへ、という危険性も全く無いではない。若気の至りでもあると考えれば理解できる、とは思うが、たんなる若気の至りではない魅力すら持ち合わせていて中々やっかいである。決断できないこと、迷い続けることを恥じてはならないと思った。