『星が吸う水』村田沙耶香

素晴らしい。もともと、訳の分からないものをなんとか形にしつつもむしろそこから溢れてしまうようなエネルギーで押し切るような、そういう作品を書く人という印象だったが、前作で完全に剥けた感じがする。エネルギーはそのままに形ができてきたのだ。
それは、今作で3人の女性のそれぞれが描かれ、決して主人公の内面だけに寄り添うことなく、それぞれがきちんと立っている事でよく分かる。いちばん通俗的で現実主義な、主人公と最も対立する世界観をもった人物である女性が、少しも嫌な人物として描かれていないのだ。私はむしろこの通俗的な人物があまりに生き生きして面白くて、ページを進めてきたように思う。そして、この通俗的な脇役人物はその通俗性ゆえに最後にこっぴどく負けてしまうのだが、かといって主人公が勝ったり何かを手にできたわけでもない。おそらく通俗女性も主人公も、これまでと変わらないが、少し変化の可能性を残しつつ物語を閉じる、そのバランスが素晴らしい。文学がそう簡単にものごとを変えられるわけではない、みたいな。
思ったのだが、じつはこのなかで一人だけ抜けているのは、志保であろう。主人公は「性を自分のもの」としつつも、つねにその社会性を意識している事に変わりはない。じつは梓の方に近い。それは主人公が、自分が仕事を止めた事について他の社員に対して負い目を持っている事からも分かる。梓が他の幸せな女性と自分を比べて自分を嘆くように、自分の今の境遇を他の人たちと比べる。折り合いをつけるのがヘタなだけで、社会性の意識はむしろ高いのだ。一方の志保は、仕事も恋愛も折り合いをつけるのがうまいように見えて、それらを意識しないような技術を獲得しているにすぎない。この女性は性欲も恋愛欲もないなどと平気で言う。(もちろん生まれついてそういう人はいるのだろうが。)
主人公が通俗女性(梓)を救おうとして、じつは自らも通俗でしかないこと、しかもより幼児的な形であることを暴露されてしまった経過が、この作品のいちばんの面白さであり、志保と主人公の対立がむしろ核なのだ、と思う。
もしかしたらエネルギーを欠いてうまく進めないのかもしれないが、私はこの作家には、性というこれまでのテーマを捨ててもやっていけるだけのものを獲得していると思うし、そういう作品をぜひとも読んでみたい。