『虫樹譚』奥泉光

実際には横浜の方とかにも既にあるらしいが、テナントが入る見込みがなくなって更地のまま廃墟となっている、とか金融危機後の近未来的世界を上手く表現していると思う。タイムリーさを感じた。
とくに頭の中に老廃物を食う虫を飼うという発想。これが当初の目的から外れ、就職にまで有利となっている、とか。安定的な大企業につくためには何でも要求に答えざるを得ない気持ちにさせられている今の若者たちのあり方の批評になってるよな。倫理的に厳しいEUでは禁止されているが、中国なんかでは国家的に推進していて、それに負けないためには日本だって、と経営者たちが口にするようなところなどは、これ冗談ではなくて、グローバリズムというのは、そういう事なんだよな、と思う。労働が国単位では考えられなくなってきている。そしてこういう事にたいする反動は、労働者の側に立つ社会民主主義的なマインドが閉鎖的な国家主義的なマインドと結びつく契機になりかねない。
他にも、たかが侵入者を排除するだけの話を、ここは戦場なんだ、と言ってみたりするのも、ネットで全てを分かったつもりになってるものが気楽に戦争を語るような風潮(丸山真男を殴りたい、みたいな銃も握ったことのないような奴の戦争待望論)への批評だし、そういう現代への批評という面では、この小説はまちがいなくよく出来ている。
ただIndifferenceというこの小説におけるテーマの展開では、あくまでそれは自分を対象として見ることのできる知的な人のものだと思う、ということで、階層社会的問題と結びついているかどうかはなんとも言えない。この小説ではこういう問題への批評となる面(虫を頭に入れるとか、新しい廃墟とか)が最初に目についてしまってしかもそれが話としてよく出来ているぶん、どう結びつくのかがよく判断できない。
それに、タイヤを食べる人のイいっちゃってる軽薄な語りとか、主人公の饒舌さとか、今の若者と近いとはあまり思えないところがあるから。いや近いところもあるのだけれども、私は、この小説のようには決して語ることのできない者たちのIndifferenceに思いが向いてしまう。たとえば、橋本治の書いたゴミ屋敷の主人が近所の人に向かって何も言えないように。あるいはあの小説での近所の主婦たちが、ゴミ屋敷の過去になどは全く無関心であるように。あの小説を読んだ今となっては、この小説のなかの近未来的世界にも、そういう人たちがいるはずなのだという思いが強くなってしまっている。