『パーティーでシシカバブ』鹿島田真希

現代的なぶっきらぼうな調子で話す若い男女が出てくる話で、よく趣旨の分からないパーティーへ行くのだが、少しづつ会話がずれ、かみ合わない事にも構わず物事は進み、主人公がそれにどんどん振り回され、あるいは振り回していく様が面白い。
現実にはもちろんこんな会話はないのだが、しかし実は現実でも、会話では一致していてかみ合っても、それぞれの内面の認識においては必ずそこにずれが生じている。いや、それは内面に聞けばのことであって、だいたいは会話で一致することが全てで、そこで終わるのだが、そのようにコミュニケーションが取れているようにみえて、一度「外部」にたつと全くとれていないかのようにときに聞こえてしまう事はないか。
微妙な話だが、それはこの日常言語のやりとりの「外部」にたつという事が難しいという事でもある。そして難しいながらも、ときに「外部」に立ててしまうというのが、われわれ近代人の特徴なのだろうか。そんな事を考えたりもした。
考えたりもしたが、素直にただ笑えるところもある面白い小説としてただ読んでもいいと思う。「帝国のてっぺん」の次回作の題名と、「信長は生きていたもの」では思わず噴出した。