『の哲学』大澤真幸

単発ならいいのにまたつまらない連載が群像でも始まってしまったなあ、という感じ。文章が大げさで、読む気がそがれる。
たとえば、「資本主義は、」とかいって文章が綴られるけど、マルクス主義とか宗教と違ってイデオロギーというより、たんなる貨幣制度じゃないかと思うし。「近代資本制社会」ならまだ抵抗ないんだけどな。
途中、西欧との「臍の緒」を思い切り徹底して切断するような形で波及したのはなぜ、とかいってこの論者は考え込んだりするが、有用なものならアラビア数字だろうと、太陽暦だろうと、臍の緒を切断して波及するだろうし、何も資本主義が特殊とは思えないし、また、「資本主義は、やはり西欧でのに成長したきわめて特殊な文化を起源としている」と書くがその論証が見られない。たんに歴史的事実?いやここは、"西欧の特殊な文化があってこそ資本主義というものが生まれたのだ"と言ってるように聞こえるなあ。
だから説得力が欲しいところ。
また最後のほうで、イエスの特異性を強調するのに、ある公平さを欠いた行動を挙げているのだが、これを「判断ミス」と表現してしまったら「特異性」というか単なるそれは「個別性」でしかなく、しかも、この判断ミスが「普遍性」を維持するための媒介となっているらしいのだが、どこが?という気がする。「いるのだ」はいいが、どのようにして「いるのだ」が成り立ってるのかよく分からない。