『ゼロの王国』鹿島田真希

とめどない言語的世界、思弁が思弁を呼び、言語が悩みを生み、悩みが悩みを引き寄せるこの圧倒的な世界もとうとう終わりである。思弁にとらわれた近代人というものに徹底的に拘りつつ、ちょっとした滑稽さを感じさせたことがこの小説が(私のなかで)成功した秘訣だろうと思う。同じように「滑稽さ」という所から人間を描いた舞城王太郎とは小説じたいのテイストは全く違うのだけど。
今回は人が人と関係するということはどういう事なのか、それはあくまで非対称でときに依存的で、エゴイスティックであることが救いになる場合もあるということで、一区切りついたのだが、はっきりこれで終わった気がしない。
吉田君は、一段高いところからいわば「普通の人」というレベルに着地したかのような部分があって、それはただ普通の人とは違うことになるだろうし、人間そんなスパっと切り替わらないだろうし、なにより、吉田君が愛を得る代わりにその潔癖さを失う部分もある筈だからである。ユキが好きになったのは何より吉田君の徹底したストイックさにあるとするなら、ユキの願いをかなえるべくそこを変えるべきなのだろうかという大きな矛盾があるからだ。まだまだこれからが気になるのである。
次の号の対談でもそういう言及があったが、続編を期待しつつ、これで終わりだとしても鹿島田氏には感謝したい。