『霧を駆ける』佐藤智加

「物語」をめぐる寓話風な小説。ある港町で作家をめざす主人公。そこでは作家が書いたオリジナル版のみが、商品として流通していて、それらは店先だけでなく、露天や個人的な取引で売られている。書くことに対するメタな小説であり、批評性は高い。昔読んだ三島賞作家の物語をめぐる小説なんかよりずっと好印象。やたらと小説的な台詞をいうほかの地方の人たちが出てきて、素直に笑えるところもある。
ある地方では、オリジナル版から幾部もの本がコピーされ皆それを読んで楽しんでいる、とか、隣町では比喩がいっさい禁止されている、とか、そういう下りを読んだりすると、確かに普段我々が本を読むという一見自然に見える行為が相対化され、考えさせられ、面白い。比喩というのは、言語がすでに孕んでしまっているものであって避けがたく、こういう所から物語がつむぎだされていくのではないか、とか。
ただ残念なのは、こういう物語を外国風の名前ばかり出てくる小説にしてしまったことで、それだけで読者は遠さを感じてしまうだろう。そして、それゆえに我々の内面は巧妙にキープされてしまう。外側の物語と読んでしまう。ひいては、続きが知りたいなら自分で書けばいいだろう、物語ってそういうものではないか、といった台詞すらなんかやたらただの教訓めいて聞こえてくる事にもなる。
我々の内面は、外国のモノ(西欧)から形成された筈なのに、一部についてはそれをカタカナ化することで、我々は確かに内面に対する一定の侵食を避けているのだ。その歴史的な制限を、この小説自体もまたかけてしまっているのは何か残念なのだ。