『三島由紀夫は何を代表したのか』小倉紀蔵

近代的政治における代表制の抱える問題にたいして、三島由紀夫の思想にそれを乗り越える可能性がある、といった論考ではないか、と思われる。思われる、というのは、何度読んでも抽象的かつ観念的過ぎてよく分からないからである。いくら政治と文学は切り離せないとはいえ、ここまで観念的な思想を要求するのであれば、現場ではあまり力を持たないのではないか。まさしく三島が、市谷でいくら演説してもまったく聞く耳を持ってもらえなかったように。また柄谷なんかも、いかに大衆が聞く耳を持たないかということは、自らの運動の破綻で痛感したのではないか。「くじ引きで選ばれた人」とか「分け前のない人」というのは、エリートが理想化しがちなモノ言わぬ大衆であって、実体はもっと恐ろしく凡庸で「汚い」人たちだと思う。
三島だって、もし自分の死後日本がどうなったかをみれば、おそらく自分の死の滑稽さを痛感するのではないか。