『おひるのたびにさようなら』安戸悠太

これはなかなか力作。[面白い]というのは、少し新人としてという留保があるけれども。
少なくとも私には、この作者には、他の新人賞受賞者に顕著でしかもそれしかない、たんに小説家になりたいという欲望以上に、書くことへの拘りが感じられる。そこがまず好感がもてた。
とはいえ決して上手いという作品ではない。とくに出だしの数ページは、なんだこりゃと言いたくなる読み辛さすら感じる。だがもしかしたら、それゆえに書くことへの拘りを感じたのかもしれない。つまりすらすらと読める上手さというのは、我々のなかにある文章への慣れに沿っているわけで、その沿うこと自体難しいのはもちろんだが、一度書くことを解体して出てきているようなものがどれほどあるのか、という事だ。
そしてこの小説の面白さは、小説中に言及されるテレビドラマの主人公の内面を一番の密度で描いているところだ。いろいろな内面がここでは描かれている。その、ドラマの主人公としての内面、それを演じる女優の内面、そのドラマに言及する会社員の内面。本来なら、一番の密度で描かれるのは、ドラマに言及する現実世界の会社員の内面であるはずで、読む人はそれが自然と考えるが、その「自然」を作者はぶち壊す。
いわば我々の内面の虚構性を暴いている訳である。そして逆に虚構の人物にこそ、よりリアルを与えようとする。先輩女子社員との別れの時間を惜しむ会社員の内面は、あまりにありきたりで深みがなく、いっぽう新しい家族に迎えられたドラマの主人公は、微妙な家族の雰囲気の変化や、ちょっとした婚約者の行為にすら深い意味を与えようとする。彼女こそいかにも純文学的なのだ。この逆転というか錯綜は、ラストで鮮やかに「種明かし」されるのだが、さてこれ以上ここで書くべきかどうか。まだ平積みされてる雑誌だし・・・。
とりあえず書けそうな所まで書くと、私の解釈では、この「種明かし」はあくまで種明かしふうの語りではないか、ということだ。
同時受賞作が内面にスポットを当てているようにみえて単に小説的アイデアでしかなく、かの主人公には書かれることのない思いが相変わらず隠されているのに比べ、この作品はいろいろ考えさせるものがあった。
ところでディテールにおいて、階段のトントンという音や、手すり懸垂のシーンが重なって言及されるアイデアもなかなか楽しめたが、ドラマ部分においてのリアルでないとこをもう少しリアルにしても良かったふうに感じた。例えば小姑がいきなりあんなふうに嫁に口を利くのかとか(現実ってもっと他人行儀だよね)、姪っ子が自転車で襲われる&助けられるところとかもあまりありそうじゃない。ま確かにドラマ的ではあるし、あそこがこの作品を駄目にしてはいないのだけど。