『しょうがの味は熱い』綿矢りさ

長いこと待たせながら、ベタなものを書いてみたかったとか言い訳して芸能界の内幕もの的な作品を上梓し、おそらく本人もじゅうぶん予想したであろう不評も多少招いてしまった綿矢りさ。これは、そろそろ直球勝負だろうとみて、たいへん期待して読んだのだがしかし。
正直読後感はイマイチだ。何か、主人公の気持ちが伝わってこない。キャラとしての統一感に不足しているかのような感じも覚えた。まあ、もともと性格的にアクの強くないタイプの人を書いたわけだから仕方がない面はあるのかもしれないが。
そして恐らくこの女性の内面を描いているだけではいくら短編としてもキツいと思ったのかどうかしらないが、途中、同棲相手の男性に視点を移動させ、相当の分量でこの男性の主観も描いている。多少なりとも小説が立体化した面はあり、こういう試みは歓迎したい。また女性作家のリアリズム作品にありがちな事であるが、男性というものが全然書けてねえ、というところは余り感じなかった。ちょっとキレイすぎるなという所はあるけど、まあ贅沢というものだろう。
むしろ繰り返しになるが、私にとっては女性の方がリアルさに欠ける方が気になって、具体的にいうなら、これがまあ高卒で地方から上京してきた人ならともかく大学院生だっていうところが特に。理系だろうが文系だろうが、院生っていうならもう少し自分の頭くらいクリアにできるもんだろうと。あるいはまた、コミュニケーションにおいて、ここまでぐだぐだしないだろうと。
例えば、この男性の方が院生だっていうんならまだ分かる。この、自・他の割り切り方のスマートさはいかにもという感じ。大学院に残るくらいの人って、その分野だけのエキスパートというだけじゃなく、私生活もどっかスマートなんだよね。甚だ自己流だったりするのかもしれないけど。
でこの二人気持ち的にはすれ違ったまま、女性の側に視点を戻して、この男性が家のなかに自分の居場所を用意してくれないなら私は同棲やめて出て行くしかないなと決心しつつ、この男性とともに居ると安心だみたいな気持ちを吐露して終わる。なんだ、男性が何も譲らなくてもこれじゃ居場所はあるって事なんじゃないの、とか思って、どっちなんだよ、とツッコミたくなる。そもそもこの女性が当初一人暮らしをしていて、それで行き詰まった所なども書かれているのだが、その気持ちがいまいち届いてこないんだよね。おそらくそれもあって、最後の方のまた一人暮らしをする、という気持ちも分からない面が強まってるのではないか。
ところで、最初の4、5ページ、男性の側に視点が移る前くらいまでの文章については、一行一行の密度が非常に高い。平易な言葉(単語)を使いながらも、全くこれまで書かれなかったような新しい文体というかリズムというか、そういうものを探っていこうとする綿矢りさの志の異常なまでの高さを感じ、少し疲れはするが、読んでいて気分は多少高揚させられた。小説ではなく文学を味わってるような感じ、といえば適切だろうか。