『新しいビルディング』青山七恵

年齢のほとんど違わない芥川賞作家の最新作を2作連続で読めたのだが、読後の感想は、この2人じつに対照的だな、というもの。青山作品を読んでいても、野心的な試みは殆ど見られない。いや、もしかしたら一行一行丹念に検討していけば発見はあるのかもしれないが、少なくとも読んでいて何も新しさなど感じない。それどころか、青山七恵の個性みたいなものすら希薄である。これを意図して行っているとすれば相当な技術であって、平凡で何でもないと感じさせる所にもまた恐らく一つの境地があるのだ。
今回の作品のフックになっているのが、働いているビルの隣の新しいビルディングの建築現場の光景なのだが、情景としてやや弱いものの、同じ部屋であまり良好な関係にない人と閉じ込められれば、外に意識が行ってしまうのもリアリティがあるところで、もし彼女にとってその部屋が古巣であったのなら、余り気にも留めなかったのだろう。
しかしこの小説も広がりがないというか、カタルシスに欠けるというか、まあ恐らく、こんなふうに波風を立たせず「大人」の関係で終われる女性って沢山いるのだろうが、これほど色んなきっかけがあっても、そんなものなんだろうか。ヒドイなあ。ビルの名前ぐらい知っていたら教えそうなものだが、ここまで性格悪いとは中々である。そしてまた、自分自身のそういう意固地な面についての反省や後悔はほとんどないのだ。
この主人公女性と暮らしている男性が、ワンパターンな朝飯を作るシーンが出てくるが、彼は働いているんだっけ?そのへん覚えてないが、こういうふうに男性が食事を分担する所がいかにも現代的だとすれば、この主人公女性の性格の悪さもまた現代的な気がする。これら二つはとても弱くだが、繋がってる気がするのだ。なんらかの抑圧というか、負の意識を抱えて生活しているのではないか。
じっさい青山七恵という作家は、労働にまつわるいかにも現代的な非人間的な所とか、意図的としか思えないくらい避けるようなところがあって、これまでの作品だって、そんな気楽でやってられるのという職業の人物を描きながら余りその辺は突っ込まないでいる。がしかし、おそらく表出させるべき所にはさせているのだ。あるいは無意識だとすれば、図らずも表出してしまってるのだ。このへんの「いま」との関わり具合が、例えば、柴崎友香あたりの小説に出てくるようなただお気楽でしかない女性達とは違う所。(しかしあれはあれでリアリティあるんだろうなあ)
ところで、やや無理やり話を展開するようなのだが、最近満員電車とかで、やたら悪意を表出する若い女性が以前よりだいぶ目立つようになってと感じるのは私だけの偏見なのだろうか。しかもたいていスーツだったりいかにもOL風だったりして、私は隣に座るのすら最近嫌なのだが。つい先日もサラリーマンと口論しているスーツ女性を見たが、オヤジ対若いサラリーマンという昔からありがちなケンカと同じくらいの頻度で見たりするのだ。
で、だらしなくヨレヨレジーンズをケツの下で履いているような男性とかがイラついてるのは余り見ない。こういう奴は着メロとかいきなりでかい音で鳴らしたりして顰蹙ものだったりすることが多いのだが、少なくとも本人がイラついてそういう事をしているわけではない。