『曖昧な風が吹いてくる』馳平啓樹

他の作家のところでは余剰過剰が欲しいとかいっておきながら、こういう保守的で進歩のないソツのない作品に好意を抱いてしまうのだから、小説の肝所というのはなかなか一般化というか人には説明しにくいのです。
というわけで早くもこの作品の魅力を書くにあたって言い訳してるけど、やはりこの作家の作品は嫌いになれない。この小説に出てくるような不安定な身分の労働者が中古の軽自動車に乗ることに喜びを見出すことに関して、明るい肯定さをもって描写しているのは下手すれば現状の階層化社会の追随、受け入れにもとれて、下手すれば危険で、他の小説家であればあまりこういう扱い方はしないのだが、その主人公が軽自動車と出会う、運命的ともいえる馴れ初めから手に入れるまでのいきさつの描写があまりに鮮やかで、肯定だろうが否定だろうが生きていくにあたってのこれが実存なんだよ、とつい援護したくなってしまう。上手すぎて危険という・・・・・・。
もうひとつついでにこの作品の良い点あげておくと、デビュー作に見られた、リアリズム作品なのにいまひとつリアルでない会社内部の実情のところが今作ではわりとクリアされているのではないか。じっさいにどれだけ実社会の経験が作者にあるのか定かではないが、何もないところからもし想像力と様々な資料や取材を駆使してここまでのリアルさを構築できたとするならそれはすごいと言わざるを得ない。一次下請けが全くマシと思える二次三次の下請けの現状がよく出ていると思う。この作家としての力があるなら現代の若者世界という題材から離れても一定のものを書いてしまえそうだ。
そしてこれは、また別な意味での他の作家との比較になるが、同工異曲というか似たような内容の作品を書いてそれらが優れていても二作目からすでに飽きの気配が漂ってしまう人にくらべ、この作家が現代若者を主人公にした作品を短期間に連続して発表しつつ決して飽きさせる事がないのはなぜか。そこにどんな秘密があるのだろうか。小説をモノにする気は微塵もないのでこれ以上探る気もしないのだが、不思議なことである。