『夜蜘蛛』田中慎弥

ある小説家が男から長々とした手記をもらい、小説の内容の殆どはその手記の内容なのだが、こういう仕掛けの、「独白延々続きもの」はしばしば見られた、いわばこの作家の得意技とも言えると思うだが、以前はそのあり得なさ感で途中で読めなくなることもあったのに、すんなりと読め、しかも中々の力作と思ってしまうこの差は何なんだ。私が変わったのかとんでもなく成長したのか・・・・・・。(むろん後者ではない!)それにしても題名が秀逸と思わせるオチの見事さは一体これはなんだろうと正直思ってしまう。乃木将軍の自決を反復するなどという、田中慎弥らしい突拍子もない発想というか、らしさは残っているのだが。
しかし、だ。相変わらずこの作家が書くのは、父と子の相克なんだよね。やっぱこの主題には個人的にはまったくもって興味がないし、はっきり申し上げてどーでもよく、一般的にみてもアクチュアルとは思えない。そういう所がすっぱりと不思議と切れてしまっているのが、われわれの今のリアルだと思うからだ。
いっぽう戦争の記憶とか天皇といった主題に関してはおおいに興味があるし、日韓、日中がぎくしゃくしている今だからこそというのはあるものの、その実際のところはこの小説とは殆ど関係がないだろうな、というくらいそれは消化されていない。戦争に関するドキュメンタリなどその殆どを見ている人間から言わせてもらうならば。こういう主題にトライする若手作家がすくない現状からは貴重かもしれないが、このレベルでやるなら扱わないほうがマシで、この作家が描いたものと比較するならひとり悶々と妄想する地方の引きこもり青年の生活を描いたもののリアルさにはまったく及んでいない。
結論としていうなら、その読ませる力、作家としての力量に比して、内容に、書くべきことに窮しているのではないか感が現状感じられる。あの戦争に関してもしも今後も書くなら、戦記文学やあるいは実録ものを一年くらいはこもって延々と何冊も何冊も読み下したと感じさせるような内容のものにしてほしいと思う。そして田中氏のような力量の人がそれをやるなら是非トライしたい。