『統合前夜』三崎亜記

何一つ面白く思わないが、作者は少しも悪くはないだろう。編集側が悪い、だって、ジャンルが違うのだ。「小説すばる」向け。
数ページ読んだだけで会話を中心に文章が荒いなと思わせ、読む気を失ってくる。結果リアリティもなく、つまりは人でなくお話を書きたいんだなあこの人はというふうになる。で、肝心の話についても念のためいえば、政治的な出来事でそれが真に恐ろしいのは、良心からの配慮が陰謀になったり、心からの正義が差別となって表れるからで、分かりやすい悪が分かりやすい悪の相貌を携えてやってきたところで(いかにも邪悪な意図を持った人がいかにも陰謀めいたことを働いたとして)、たいして恐ろしくはないのだ。ゲシュタポだって当時のドイツ人からしてみれば町を浄化してくれる正義の味方なのです。人々はやむを得ずではなく自らすすんで良かれと思って密告したわけで。伊坂幸太郎(字あってる?)も、悪を分かりやすい悪としてしか書けなかった人だけれど、もしこういう浅薄な社会理解が、いわゆる物語系の作家さんに共通するものだとすれば、やはり物語というものに疑問をもつというのは文学の本分ではないか。