『歌え、牛に踏まれしもの』山下澄人

視点を変えてみたり、ひとつのイメージを回帰させて語ってみたり、ま、よくあるアレです。高尚なふうに書けばブンガクみたいな。書きたいことなんてとくにない、みたいな。以前も言ったけど、小説を専門にしていない人が書いた小説を群像でやったとき、難しげに書いたものが多かったでしょ、似たようなことです。作曲をやり始めたひとにかぎって独自のコード進行とか新たな和音に取り組んでみたりとか、ね。
文学を芸術だと思っている人にはこれでいいのかもしれないけれど、同時に商品でもあってその側面は極めて重要であると思っている私にとっては、一食、いや本は二食分ぐらいあるわけだが、それ我慢して買った本にこんな内容しかなければ激怒するだろうな。これは「群像」の一部分でしかないからいいけれども。言葉遊びや、高校生並みの発想で言葉を料理して面白がるところがとくに辟易させる。
(ちなみに最近私は歌モノではブルースしか聴かない人間になりました。)