『再びルイへ。』林京子

こんな「作品」を載せたことへのささやかな抗議として、暫く群像を買うのを止めた。「文学者の特権」ということが頭に浮かんだ。高名な文学者であれば、「福島の子供が鼻血」みたいな関係のないことでも原発事故と関係のあることのように印象付けて書くことも、東北地方の瓦礫の広域処理を原発事故で出た瓦礫のように印象付けて書くことも、そして結果、東北の人や福島の人がけがれてしまったとみるような世間の印象を助長せせてしまうことも許されるんだなあ、と。東北地方の瓦礫なんて、さんざん無造作に燃やした関東地方の落ち葉よりよほど汚染されていないのに、いくら説明しても結局は、私たちはもう国の説明も、科学的説明も信用しませんという例のアレ。で、信用しないで逃げなさい、です。逃げた後のフォローも何もなしで、です。逃げた後誰がどのように生活を支えてくれるかはっきりしないのに逃げるなんてのは、何十年か後にがんで死ぬ確率がほんの数パーセント上がることに比べてはるかに恐ろしいことなのですが、核と対峙することが何よりも優先する人にはきっと想像もつかないことなのでしょう。