『鴎よ、語れ。』藤谷治

明らかに震災という出来事があって書かれた小説で、作者の思いの真摯さがビンビンに伝わってくる力作で、太宰治について主人公が講演で語る内容がハイライトなのだが、そのなかにハッとさせられるものもずいぶんとあったように思う。とくに記憶に残るのは、書かれたものはなんだって本当のことなんです、っていう部分で、それだけ抜き出すとなんのことやらなんだけど、全体のなかで読むと説得力があって、ズドンと突き刺さるものがありましたです、はい。この講演部分を太宰治論として独立させても十分にこれで成立しちゃうんじゃなかろうかというもの。
したら、なんで最高評価にならんのかとなるわけだけど、主人公が暑いなか行き倒れになりかかっていた人を助けるという話が並行的にあるんだけれども、この部分がどうにも情けなくて。知識人のダメさがモロ出てしまっているっつうか。いやその、そのダメさも己で十分自覚はしてるかもしれなくて、だからこの小説に嘘はなくて、だから小説としては悪い事なんかあんまないんだろうけれど。
でもあえて書かせてもらえば、助けられた人、ただのオッサンですよね、この元タクシー運転手。体は少々弱いかもしれないけれど、退職金しっかりもらって、外食もできるっつうことから見れば、勝ち組みとも言えたりするくらいでもあって。震災があって原発事故があって、今まで見えなかった(見ようとしてこなかった)もの、たとえば地方の犠牲などが露わになって、で、ここですか、という残念感が読んでいてどうしても拭えない。こんなに手短でいいのか・・・・・・。手短っつったら、だいたいが、一点をみつめて頷くおっさんなんて府中やら船橋やら後楽園やらに土日いけばそりゃもう腐るほどいるからねー。ま、知識人のかたがたはそういう所へは滅多に行くことがないのでしょう。
いや人数の多寡ではなく、こういうのがたとえば小林秀雄がいう黙って事変に処した人とも重なったりするのかなあなんて思ったりもするけど、どっか都合がいいんだよそれはやっぱ。おっさんって、もっと見たくないものを一杯持っているんだよ。いまだったら口角泡で、中国や韓国の悪口いうだろうし、節電なんかすっかよ東電が悪いんだろ値上げだ?値上げすんなら原発動かせよ、なんて言ったりもきっとするんだ。そういう人は下町の飲み屋とかにいっぱいいるよ(閑静な住宅街の蕎麦屋にはいなくても)。そこまで描いて、尚そのひとが「美しい」としたら、ほんとにすごい話になる。