『四本のラケット』佐川光晴

今回は掲載誌はすばるでも「おれのおばさん」と関係のない世界で、しかし、たんに直接関係がないだけだ、というような内容。この作家はこのまま、善意の人々だけが出てくる希望の小説みたいなのしか書かない人になってしまうんだろうか。
いま実際に起きているイジメの、その陰惨という表現すらまだ甘いかもしれない世界からみれば、この小説での出来事は牧歌的と言わざるをえない。ようするに現実から一歩も二歩も遅れているのだ。もちろん、そんな事はこの作家だからこそ言われなくても分かっていると私は思っている。そして、現実がどんなに悲惨であれ、しかし、こういうものを書いていくのだ、ということなのだろう。たしかにフィクションは、こういう単純さをあえて引き受けるという側面はある。で、ただ現実の似姿を書くだけであれば、そのほうが芸がないだろう。現場の先生だって親だって、善意の存在という「フィクション」を信じなかったら、モチベーションをすべて失いかねない。
しかし今や私にとってかつてと違って、進んで何としても読みたい作家ではなくなりつつあることも確か。