『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』木下古栗

この作家については誉めに誉めまくってきたので、いまさら何の新鮮味もなく思われるかもしれないが、今作はこれまた掛け値なしの傑作で、こんな事冗談で言っていると思われるかもしれないが、木下古栗のためではなく芥川賞自体のために、芥川賞授与を検討しなければならない。(だってこれだけのレベルのものをこれだけの量、スピードで生産している作家が、新人でないものも含めてどれだけいるんだって。しかしそう考えると石原慎太郎の引退が惜しまれるなあ。読ませたかったなあ、ぜったいプライベートでは読まないだろうから。)
まあ実際としては芥川賞には微妙な長さではあるのだが、今作は、先輩同僚社員が失踪したから社の(その課の)みんなで探しに行くんだが、その探すメンバーのなかにその失踪したとされる社員が含まれている、つまり目の前にいる人間をみんなして探すという、説明して分かってもらえるのかすごく不安になるバカらしい内容なのだが、この生産性のなさ、わけの分からなさ、狂気が、もうひとつの労働批判、資本主義社会批判となっている。などと、マジメなことを書くのが非常にこれまたバカらしいのだが。
この小説で特筆すべきなのは、もうひとり一人称視点で書いているはずの「わたし」が文章から省かれ、一緒に行動している筈なのに他の登場人物からもあまりいじられずどこにいるのか状態になっているという、まったくヘンな技を駆使したおかげで読んでいて不可解というか不思議な感覚がするところ。なんじゃこりゃと冒頭から数ページを幾度か読み返す私なのであったが、たんに面白おかしいだけじゃなく、平気でこういうことを仕掛けてくるから面白いし、ワンアンドオンリーな才能を感じるのだ。
もちろんこのひとりの社員が空気のように希薄になっているのも、人間をひととして扱わない現代社会への痛烈な批判が含まれている。いや。