『燃焼のための習作』堀江敏幸

新年号というと、なんか目玉をぶち上げたり、高名な作家さんたちの短編集めて一見華やかにしたりするのが文芸誌の通例のような気がしていたが、今年の群像は堀江氏の読みきりか、ちょっと地味かもと思っていたら、すごく読み応えがあって良い意味で裏切られた。
集中豪雨のなか、探偵事務所で足止めをくらった依頼人と探偵、そして助手兼事務員の女性たちの模様を描いただけなんだが、それだけなのにこんなにも世界は豊穣なんだと感嘆してしまう。メインの話と、事務員さんが割り込んでくるわりとどうでも良いような話のバランスもよく、心地よく話題がそれたり戻ったりして、半分その場に参加しているような気さえして、まさしく読書の醍醐味が味わえる。
で、技術的にもなかなか凝っている。といってもそれほど奇抜なものではなく、会話に「」を使わず、実際に言った言葉そのままであったり、あるいは実際にいったことの簡潔にまとめて地の文に溶け込ませ、また、回想も心理描写もとうぜん地の部分で行われるから、一定の分量での記述の区切りみたいなものはあるものの、すべてが一体化していて、それを読みながら切り分けていく作業が楽しい。意味を分かることだけが小説の楽しみではなく文章そのものを解体し味わうことも、やはり大きな楽しみなのだ。
つうわけでほぼ大絶賛なのだが、読み終わって暫くしてなにか引っかかるなあという部分が少し残ったのも、じじつではある。なんか「よいひと」ばかり、というか、「善意」ばかりの世界というか。タクシーの運転手までホームレスの面倒見るのかよ、って思う。
それほど極端ではないけれど、露悪的な小説の逆に位置するような作品ではあるんだよね。もちろんリアリズムを多少犠牲にしてでも、あえてこういうものを描いているに違いないのだが。で、ちょっと頭に浮かんだフレーズがあって、それは「大人向けおとぎ話」。
たとえば、豪雨で閉じ込められていることもあって依頼人が長居しているんで、探偵がちょっとした食事(おむすび的もの)を作ったりするのだが、読んでいてもちょっと口にしたくなるようなものをこさえたりする。ふつうの両手鍋を使ってゴハンを炊いたり。
ここまでくるとちょっと出来すぎというか。ケチャップで炒めるだけのライスくらいならそんな嫌味でもなかったんじゃないだろうか。過ぎたるは及ばざるが如しとは言わないまでも、ここまでできる中年男性なんて滅多にいないだろう。ちなみにいっておくと、むろん、鍋でゴハンを炊くのなんか、慣れればなんてことはない。水の量と、中火でしっかり勢いある湯気が出るくらい加熱すること、そしてあとは時間だけだ。ただし昨今の電気釜(炊飯ジャー)は余程のはずれ機種でないかぎりそこそこ美味しく炊けるので、スイッチ押しさえすれば、時間も火加減もまったく面倒見る必要がなく、そのあいだ他の家事がこなせる電気釜を使わないのはまったく馬鹿げていて、鍋でゴハンを炊くのに慣れる必要なんか殆どない。