『ヒグマの静かな海』津島佑子

今回の震災でTVに映し出されたある被害者の映像から、主人公は、自分が若い頃になくなった「ヒグマ」というあだ名の年上の男性のことを思い出す。その男性は自ら命を絶ったのだが、なぜそうしたのかが分からないこと、どうあがいても手が届きそうもないものであったことと、いまふたたび、震災の被害者への主人公が抱く距離感が重なる。震災被害者と、己とのそのあまりの落差。
ところで私は、戦争体験者の証言をNHKBSでよく見るのだが、そこで非常によく言われることのひとつとして、や、あれはね、行って見なきゃ分からないんだよ、という類の言葉がある。ときにはやや怒った調子で、戦争の時のことなんて親兄弟にだって言ったことないですよ、言って何になるんですか、分かるわけないもの、という人もいる。そこでは、体験の共有や、生半可な同情はかえって拒否される。体験者の言葉を聞こうとするわれわれも、結局、究極のところでは体験者の体験のその絶対的深度には及ばないんではないか、とうすうす思っている。しかし、それでも。それでも我々は聞こうとするし、全身で聞こうとすれば時として話もしてくれる。
この小説でも、「ヒグマさん」あとに残した幼い子供たちをなんとかしたいという主人公の申し出は、たんなる思いつきとして却下される。生半可は許されない。しかし、それでも・・・・・・。その、「それでも」にだって大事ななにかがあるとする小説である。きっと。
というわけで読ませる部分はあるのだが、全体として面白かったかといわれるとちょっと窮する感じもある。