『海の碧さに』三輪太郎

テーマ的にとても意欲的な作品でこういう作品はまず間違いなく少ないだろうからあまり低く見たくないものの、残念ながらあまり面白くない。よってこんな評価である。
まず言っておきたいのは、いくら天皇陛下万歳といって彼らが散っていったからといって、それは天皇個人への崇拝というより共同体に殉じたという事だろうと言うこと。頭のなかに浮かんでいたのは天皇のご真影ではなく、親であり兄弟でありふるさとの風景ではなかったか。じっさい、軍中央の壮年連中だけでなく青年将校だって天皇にあまり敬意なんて感じていないんじゃないか的なその利用のしかたをあれこれ画策していたのが現実で、一般民においては尚更だろう。
だからこの主人公が天皇が南方諸島への慰問で感じたことやそれによって何かが生じたのではないかとかそういった事に固執するのには、まったくもって的外れ的なズレしか感じず、ついていけないものがあった。たしかにバブル崩壊以降、小泉の靖国参拝あたりを頂点として、こういう種類の的外れは一部の若者不満層に見られたかもしれないし、その反映もあるのかもしれないし、作者=主人公ではないのを祈るばかりだが、あまりにストレート、単純すぎ。
もっとも、冒頭にも述べたようにこういう小説を目にすることが少ない、つまり共同体の一員として、どれほどの思いを戦没者に抱いてきたかを思うと、甚だ心許ないのは言うまでもない。明仁氏以上に、それ以上の角度と時間でほんとは我々は頭を垂れなければ、ならないのだ。
そういう思いもあるものだから、このズレた主人公にたいして嫌悪感までもはいだくことはなかったのだが、しかし、もうひとつこの小説には不満点がある。物語のサブ的要素、伝説的編集者とか、主人公のいっぷう変わった恋人などがあまりに安っぽく、読むものを若干白けた気分にさせることだ。ほんとにこういう要素必要だったんだろうか、あまり小説を先に進ませる要素にもなっていないんだが。けっこう読む間眠くもなったし。また、主人公の少し軽々しい言動、行動も、内容にあまりマッチしていない。いきなり「メイクラブ」とか、なんか変なんだよなあ。重たいテーマをあえて軽くという意図もあるのかもしれないが。


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近藤勲公、片岡義男の両氏の作品、菅原文太×丸山健二対談については未読にて悪しからず。