『新潮』 2011.10 読切作品ほか

人志松本の○○な話を訳あってたまに見るのですが、怪談を怖いと感じることがないので、怪談特集は止めて欲しいです。ちなみに私にとっては、無灯火で信号のない交差点に進入してくる自転車ほど怖いものはありません。


訳あって朝日だけじゃなくて読売もたまに読んだりするのですが、最近「反省しないギリシャ人」みたいなコラムがあって、何だろうなこの雰囲気と思ったりします。そういえば、テレビで、問題が起こっているのは南欧の国ばかりですね、みたいな事を言う人もいましたが、じゃあその前のアイスランドは何だったの、という。
こういう事をきっかけにして、何か物事を民族性のせいにして片付けたりするような古臭いタイプの言説が復活するのは勘弁して欲しいです。需要以上の供給(投資)をしてしまうこと、で結果としてバランスが崩れてしまう事に民族性云々なんて関係ないでしょう。ナショナリズムみたいな、放っておいても起きてくるような余計なものをジャーナリズムが今更後押ししないで欲しいものです。むしろその点ではジャーナリズムより政治のほうが最近では先に行っていて、デタラメな申告で加盟したギリシャに救いの手を差し伸べようとする仏・独は大人ですね。メルケル女史はともかくサルコジなんかは反動的イメージしかありませんでしたが。まあ、放っておけば自国の銀行までやばいからってのが最大の理由なんでしょうけど、なぜギリシャなんかに金をって声は両国の国民のあいだに想像以上に少ないんじゃないか、と思います。金融システムの重要さを分かっているというか。
これは勝手な想像ですが、ギリシャなんかではあれほどいろいろいきなりカットされれば騒ぎたくなるのは当然でしょうし、痛む懐が他のEU諸国の人程度であれば、国民投票みたいな事になっても心配するような事態にはならなかったんじゃないでしょうか。あれほど債務カットとか調整してもらって支援拒否はしないだろう、と。ほかにも例を挙げるなら、銀行救済ときくとイコール金持ち優遇と短絡するようなバカはギリシャでもそんなには居ないんではないか、と。なんかみんな、ギリシャを馬鹿にしすぎって感じです。


そういえばこんな時代ですから、なぜ銀行救済がイコール金持ち優遇ではないのか、くらいは中学生の高学年くらいで教えておくべきかもしれません。そうすると、池上彰さんの仕事が少し減ってしまうかもしれないのですが。


今日は最新号の目次を見て買う気が失せている「新潮」の古い号です。