『背中の裸婦』木村紅美

以前に、どういう題材を扱った作品でも、どこかしら楽天的な明るさが漂う、とかそのような事を書いた記憶がある木村作品だが、この作品にはそんなものはまるで無くなっていた。
ひとりの女性が、他人の保険証をネコババすることでその女性になりすまし、街から街へと放浪するハナシ。なぜにそんなことするのか、そういう虚無に至るに何があったのか、とチラリと思ったが、読んでいくうちにそういう事はこの作品には必要ないのではないか、と思うようになる。
というのは、そのようななりすましを許容できる世界というのは、大企業とか、綺麗なマンションのような身元が厳格に審査されてしまう所ではないわけで、必然としてより底辺に近いところの世界の人と触れ合うこととなるのだが、ここで触れられるその空気がとてもリアルなのである。だからこの小説はこれでいいのだ、という感じになるのだ。
ここに出てくるのは、底辺ではなくあくまで底辺に近い、中の下、滅多に客の来ない床屋とか旅館とか、社員の少ないどうでも良いことを商売にしている会社なのだが、グローバリズムの浸透以降のそういう世界の廃れについては、もう言い尽くされてはいるものの、ひとつの題材として取り上げてみましたというとってつけたような感じもない。あくまで自分の身の回りから払うことの出来ない現実=選択肢ではない必然として、書いているような、といったら言い過ぎかもしれないが。
そして、そういう中の下の世界の人々について、本当はこんな暮らしをするような人でないのに運が悪く、というだけではなく、そういう人たちの、ある種のだらしなさ、しょうもなさ、もしっかり描いているのがもっとも特筆すべきところ。包み隠していない。
ここには、誰もが世界でひとつのそれぞれが花で咲かせることができるといった、先日来このブログで繰り返し批判している世界とは逆のものがある。
次のこの作家の作品も読んでみたいと思わせる。