『子供の行方』古井由吉

この連作では気候の話などから入ることが多いと記憶していて、で、その記述が実際の自分の数ヶ月前の実感と一致したりするものだから、いつかは震災にも触れることがあるかもしれないと思っていたら、完結編でそうなった。
もっとも震災の当日にどんなふうに行動してどう感じたかなどが仔細に語られるというものでもない。大部分は戦時中の大空襲のときのことが語られる。(とくに強調されてはいないけれど、あれもたしか3月の上旬〜中旬だったような)いつにも増して、小説というよりエッセイに近いものがある。
まず読んでいて思うのは、忘れようと思っても忘れられないものと、思い出そうとしても思い出せないものは、どのように区別され作り出されるんだろう、ということ。その不思議さにとまどう。しかしそこに方程式がないからこそ、生きているのだとも言える。
そしてここで描かれるように個人としては記憶ときちんと付き合い、付き合わざるをえないのに、家族や親しい知り合い同士の間で、それがあまり語られることが無い、というのも興味深く感じた。戦時体験については元日本軍の兵士のかたでも、格別戦犯に値するような悪事を働いていなくとも、積極的に自分から体験について話すひとは非常に少ないものである。
となれば、震災のような体験についても、あの震災のもっとも悲惨な中心にいたひとたちは、結局まわりと共有するようなこともままならず、自らのなかで時間とともに消化するという事になってしまうのだが、沈黙もまた共有されうるし、コミュニケーションのひとつではある。で、沈黙をよりコミュニケーションに近づけるには、必ずしも小説を読まなくとも文学的想像力がそこに寄与しうるだろうと思う。
以下は私の想像による勝手な読みかもしれないが、古井氏があのときの子供の行方を今更ながら思うということを思っていることを、沈黙の裏にあるものと繋げたいと思う。被災者のひとたちもそのようにして内へ問うているのだ、と。
ここ首都圏ではもはや震災といえば語られるのは主に原発のことであり、節目節目でしか津波の廃墟については語られず、それどころかごく一部では東北産のものと聞いただけで、悲しみではなく放射能を連想し忌避したりするようになっているのだが、これはもう半分くらい仕方の無いことだ、と思ったりする。まさに自分自身がそうだし(東北産は決して忌避しないけどね)、寄り添おう語ろう思い出そうというのもどこかに無理があるし、はるばる半年も一年もかけて南方から帰還した兵士に「どうだった?」なんて聞けしないのだ、結局。しかし聞かなくても、沈黙を聞いているのだ。
ところでこの小説はひとつの体験談として、もうひとつ興味深いところがあるのだがそれは、爆弾が落ちてくる音にたいして実際にどう行動したかというところで、どう動いたって自分が動ける範囲内での当たる確立は変わらないのだから、それはじっとうずくまっているということにもなるのだろう。そして音は、まさしく自分に向かってくるように聞こえるだろう。この恐怖は、これこそ筆舌に尽くしがたいだろうと思う。
ときどき飛行機ショーやカーレースのクラッシュなどで、一瞬のうちに観客などが巻き込まれる映像があったりするが、同じく避けようがないにしても、この時間的恐怖のあるなし、というのは相当な違いではないだろうか。