『命からがら』大道珠貴

もしそれが主人公のことだとしたら、読んで少しも「命からがら」という気がしてこないんだが、この作品では以前の作品であったような「男のTシャツから乳首が透けるのがいやだ」みたいな女子中学生みたいなワガママは少なくなっている。
過去の幼いころの回想とかジジババとの付き合いの分量が多いせいか。ただ途中相変わらず、中年女のどうでも良い独白が挿入され読む気が少しそがれる。たぶんどうも書いている内容そのものに、余裕が付きまとっているのが嫌なのだ。たとえば自身の「死」について書くわりに死に近づいている匂いが漂わない。たとえば大型激安スーパー(逗子だからオネスト経営のオーケーストアの事だろうか?)の前にいつもいる酔っ払いオヤジをカワイソウなどというのも、まさしく酔っ払い本人にすればクソ余計なお世話なんだが、余裕が無ければ出ない思いではないか?
どこまでフィクションなのかまったく定かではないが、いつもなんかこの余裕めいたものが共通していて、キャラが似ていて、私小説と勘違いしてしまうのだが、いつも共通する「あるもの」があるということは作者の影が出ているのだろう。そして私はそれが好きになれないのだけれど、好きな人もいるだろう。
ところで、それなのに、今回は[オモロない]ではない。
それは2点ほど真実味というか切迫したものに触れたからである。ひとつは子供を作る作らないかなんてもう自分には問題ではないはずなのに、月経の量がすくなくなってくるとか、40超えて、あと色々年長者に触れたりしていると、そういうあれこれが知らず持ち上がってくること。ここは読んで読む手を止めさせ、何か感じるものがあった。ラスト近くにに持ってきた宴会場でのトシヨリ女性がしゃべる話題の中心も、子供を持つ持たないであることは偶然ではないだろう。
もうひとつは、トシヨリを前にして自分自身が半分その人になっているという描写である。生き物としてみている。ここには酔っ払いオヤジを目の前にしたような余裕が感じられなかった。