『言葉が無力になったとき』熊谷達也

「小説に存在する意味があるとするならあくまでも平時の暇つぶしでしかない」とか言うなら、「誰もが言葉を失っているときにあえて言葉を発するべきじゃないのか」とか(たとえその結論に至る途中だとはいえ)書くなよな、と思う。とんでもない八つ当たり。
国家なんて幻想だといってもなくならないのと同様、小説は暇つぶしであるべきといっても(残念ながら)そうならないように出来ている。
むしろ微力ながらそれに抵抗しているのは、分かりやすい物語など書こうとしない一部の純文学なのだ。エンタメでなくね。
それはともかく、「誰もが言葉を失っていた」というのは本当だろうか。
むしろ誰もが意味も無く饒舌で、あるいは興奮したり攻撃的だったりしたのが、震災後しばらく続いた実際のところなんじゃないだろうか。その饒舌をただしく静めてくれるような言葉を求めて。