『超人』伊坂幸太郎

前作『PK』のつまらなさも記憶に新しいなか、今度はいくらかマシかと思えばたんなる姉妹編的作品でした、というオチ。サッカーだとか大臣だとか落ちてきた子供がどうだとか、前回と部分的にダブるような話が展開されて、で、前回あった時代考証がなんかおかしいぞという部分も今回はなく、これは評価を一段落落とさざるを得ないよね。
後日起こる殺人事件の内容がメールで届く男がいて・・・・・、ってまるでどっかの少年マンガみたい。さらに輪をかけて少年マンガっぽいのは、メールが届けられてしまう男が、その殺人事件を防ぐために事件が起こる前に殺人を犯す人間を殺ってしまうという。あらら。未遂犯ですらないひとを抹殺ですよ。
そんな黒いことしなくったって、被害者と思われる人にそれとなく諭して警戒させるとかもっと穏便な方法はいくらでもあると思うんだが。あるいはこれから殺人を犯す人を全治2ヶ月程度のケガさせるでもまだマシだ。いくらなんでも点滴やギブスしながら殺人なんて犯せないだろうし。
しかしそれ以上に、「大臣」なる与党政治家がそう遠くない未来に1万人規模の殺人を犯すかもしれないみたいな物騒さが、物語にポロっと挿入されるところに嫌な違和感を抱いたな。
海上保安庁に属するような公職にある人間が映像ばらまいたりとか、確かに20年30年前だったらまず無かったような性急な鬱屈が、この社会のそこかしこに出てきてるのは認めざるを得ないとは思うよ。けれど、なんかこの小説に出てくる飲み屋での若者の話しっぷりとか、未遂でもない人をやってしまうとか、政治家が一万人とか、時代の切り取り方がセンセーショナルに傾きすぎてやしないか、と思う。あるいは安易というか。
むしろ話のための話、ヒーロー願望だとか勇気だとかの話にもっていきたいがためにこういう物騒さを持ち出しているのなら、まだ少し救いはあるんだけれど、ほんとうに作家自身がこういう性急さに今の世の中が溢れているとか考えていやしないかと心配になる。
しかも、それぞれ、内面的な説得力ある描写が殆どなく、物騒な現象がいきなり接続されているんだ。ようするに批判的な視点があまり見られない。だから私はこの「物騒さ」の安易な扱い方は、へたすると世の中がそういう方向にいくのを後押ししているようにすら感じる。
まあもっと影響力のあるマンガの世界では、クーデタだのテロだのってのはもっと無造作に転がっているんだろうことから考えれば、たいした事ではないんだろう。でも、こんな作品は無いほうがいい。
ちなみにNHKの世論調査では、日本が将来ふたたび戦争を起こすと考える人は2割にも満たない。