『息継ぎよりも速く』上村渉

デビュー作がとてもよくて追っている作家で、じつは今回のすばるはこの作品目当て。
で、絲山秋子が「群馬」作家とするならこのひとは「静岡」作家と言ってよいのではないか、この作品を読んでそんなふうに思った次第。ただし、絲山氏のが後からそれ相当の覚悟をもって選択された地であるのにくらべ、このひとにとっての静岡は原風景としてのそれ。どちらが優れているとかそういうことではないのだけど・・・・・・。
しかしこういう作家はじつは貴重なんである。やれ目黒の裏道や吉祥寺の公園のちかくを散歩して、ネコがどうしたとか喫茶店がとかそんな(ときには屁みたいな)小説ばかり、本当に本当に履いて捨てるほどあるなかで、こういうロードサイドを描ける作家というのは。
というか、地方が舞台であろうとなかろうと、クルマに乗る主人公ですらあまり記憶にない。せっかく地方が出てきてもマンキツだとかカラオケ屋、居酒屋、コンビニでのバイトとかそんなんばっか。
ほんとうの、いまの、地方が描けていないのだ。生活のあらゆる面においてクルマが直結しているところの光景が。そしてまたクルマというものは、何かしら我々の内面に大きく作用する乗り物なのに(ただし自分で運転していれば、なのだが)、それを描けている小説家も絲山秋子くらいしか居ない。なんでこうも書かない人が多いんだろう。電車や飛行機の移動だって確かに移動なんだけれど、電車で京都に行ったときと、クルマで初めて隣の県まで行ったときというのは、これは断言できるが、それらは全く違う体験なのだ。(私の場合はバイクだが。)
と、ここまで書いてなんだが、まあ、静岡というところはハイテク集積的側面もあって島根だとか青森とかに比べれば比べるのが愚かなくらい地方としては豊かな所だから、地方小説としてこの作家の小説を扱ってしまうのは実は間違いなのだけれど。
それなりの豊かさがあって、水産業も農業も盛んで、工業地帯があって、ロードサイドが充実。アウトレットモールだってここが先駆けといっても良いくらいの土地。さてしかしそこで暮らす人間は豊かなのかどうか・・・・・・。けっこう興味深い土地だと思うのだ。
この小説もじつは主人公の人生を描いた部分では、ちょっと湿っぽい人情話的側面があって、100%面白いには出来なかったのだけれど、クルマが出てきて、華やかなロードサイドから一転田舎道になったりするところなど出てくると、ああ貴重だなあ、と思うのである。しかしデビュー作のちょっとしたえぐさが好きだった私としては、主人公と旅先で仲良くなってしまう離縁寸前の夫婦のとくに夫の仕事のえぐさにもっと踏み込んでくれても良かったし、あるいは小説の趣向が異なってしまうが地方でオーナーシェフとしてやっていくにあったっての苦難さをもっと詳細に書いてくれても良かったのではないか、と思う。経営的側面にしろ味の工夫的側面にしろ、私たちが知らないがたぶんそれなりに奥深いことは結構あるに違いない。いまどきの信用金庫がどんなふうに金を貸したりするとか。デビュー作では在日ブラジル人を出した時点で、その詳細を描かなくてもある程度分かってしまうところはあったのだが・・・・・・。
引き続き迷惑かもしれないが応援したい。