『トンちゃんをお願い』横田創

この作家については殆ど良い印象をもっていないんだけど、なんか若い女の子が出てくるような小説しか読んだ覚えがなく、今回もそうだった。この拘りはなんなんだろうね、って私が知らないだけで、中年男性が渋く自分語りをする小説をどこかで書いているかもしれない。
ここで本当にどこにでもいるような2流私立の女子高生を綿密にリサーチして書いてしまうと、モバゲーだとか激安コスメだとかジャニの話ばかりになってしまって全く理解できないし理解する気も起きない小説になるのだろうが、そうはなっていない。この小説ではなぜか固有名詞を分かるように伏字にしていて(駅ビルのル○ネとかエ○セシオールカフェとかそういうかんじ)、分かるように伏字にする意味はよく分からないものの、伏字にした当のモノについてはなんとなく分かるものが多く、話についていける。
つまりは、実際のどこにでもいる女子高生とはちょっと違っていて、そういう女子高生だからこそ作者は恐らくそれについて書く意味を見出しているんだろうなあ、と思われる。現実のそれを紙の上に登場させたいわけじゃなくて、たとえばひとつに、「われわれ」を揺るがしたいというか、そういうのもあるかもしれない。
今回は以前の作品にくらべ面白いなと思った一つ目は、一人の内面ではなく二人の内面から書いているのだが、章分けせずにいつのまにか片方の人の内面に独白が変わるという書き方をしているところ。なかなかこの工夫が面白かったし技を感じさせる。そうやっていつの間にか入れ替わるというくらい似たような若い女性的メンタリティなのに、この二人がディスコミュニケーションに陥っているというのも面白い。そして、ひょっとしてディスコミュニケーション気味なのかな私たちと心のどこかで感じつつも、なぜか相手の存在を希求してしまうという物悲しいところもよく描けている。こういうところ、女性の多くは男性と違って諦めないよね。男性はすぐ模型だとか骨董だとか釣りとか「相手」の必要ないものに逃げ込むから。ただ、関係を希求しようとするところはいいのだが、それが壊れることばかりを恐れて、肝心のことを言わないでおくという負の面もあるのも確かで、それもきっちり描かれている。
で、私がいちばん良いと思ったのは、トンちゃんの服装に対する無頓着さ、かな。こういう独特の審美眼を持つということはなかなかできることではないので魅力的なキャラだわ。というのは、服装に無頓着な男女は数多く居ても、今店頭に並んでいる服を買ってしまうと皆それなりの今の服装になっちゃってなかなかトンちゃんにはなれないんだ。だって今オヤジもおばさんも含め皆履いているジーンズってユニクロのも含めて、ちょいローライズてポッケがケツの下まで垂れているようなのばかりでしょ。
だからそれに合わせてトップスも着丈が長い。私みたいに肩幅が広い人がそれに合わせてシャツ買うと股間が隠れるようなんばかりで、アウトして着るとズルっとした格好になる。私もトンちゃんみたいな人間になりたくて、ハイライズのツータックのチノパンで少し絞りがあるという滅茶苦茶今風ではないパンツを古着屋で200円くらいで買うということを一時やっていたのだが、ものすごい紫の色していたりすると下手すると作為的にそういう格好にしているんじゃないかと思われそうで今は止めている。流行に乗るのがいやだからって、意識的に逆らうのもそれもまたなんかカッコウ悪いんじゃないか、と。
何の話だっけ?
そうそう。トリの胸肉の調理法、とくに保存の利く調理法のところは一読の価値あるかもね。私は面倒くさくて全部カラアゲかフライにしてしまうけれどね。胸肉のパサパサ感を柔らかくして食べやすくとかそういう殊勝な発想ではなく、アブラで揚げて周りの衣のアブラ感で補うという発想。適当にぶつ切りして洋風だし液に一晩漬け込んで、塩+コショウ+ガーリックパウダーと小麦粉混ぜて高温で一気に揚げる。一気に揚げるといっても、面倒な二度揚げとかしないという意味で、ちゃんと揚げ音が変わって表面近くに浮かんでくるまでしっかり火は通すこと。そして食べる際には、ブルドッグの中濃ソースをかける。べつにウスターソースでもいいけど、ウスターってカラっと揚げると衣を滑る落ちるんだよね。
何の話だっけ?
とにかくコミュニケーションというもの微妙さがうまく描けている小説だったのだが、盗みを働いてしまう「一線」についてもその越え方にわりと説得力があったとも思う。