『文學界』 2011.6 読切作品のこり

いきなりですが、たまたまこの文章を目にした人で、監視員の数の方が多い屋外プールで泳いだ経験のある人はいますか?
むかし冷夏のとき一度だけ大田区のプールでそんな経験をしましたが、50×20のプールで泳いでいるのは自分とどこかのオッサンだけ。自分の動きが注目されると嫌だなあとときどき監視員の方を見るのですが、けっこう見てませんでした。ちょっとした気まずさもあるのでしょうか。


とこの時期らしい話題書きましたが、時期を逃さず書いておきたいことがもうひとつあって、最近朝日をたまに読むようになったのですが、高橋源一郎が論壇時評をやっていて、矢作俊彦だのアニメの宮崎監督が菅サポート的立場に立ってるみたいなことを先日書いていて、ということは高橋源一郎もそうなんだろうと推測されるけれど、遅いすよね、言ってることが。反原発なら菅支持で、というのは私ですらここで6月初旬に書いてるというのに。
ヘリ視察がベントを遅らせたどうのこうのと自民党のアベとかああいう連中に攻撃されているときにこそ言わなきゃ。(「伝統」教育がどうのといって武道必修化したのもこのアベらしいじゃないですか、なんてくだらない奴。)


というか、でも私は、原発問題だけで政権支持するかしないか決めるつもりはなく、身内の民主党員ですら何を考えているのか分からないようなやり方で政権運営するような首相が政権維持するのは流石にどうなのと最近は思っていて、今は支持率が異常に低いから危険が少ないものの、政党の争いを「政争」として省みず行政が突っ走るやり方って、陸軍や関東軍が勝手に中国で領土拡大したのとそう変わらない。浜岡の停止や原発再開問題でも、首相の思いだけ先走り、辛うじて法に触れないというだけで後からそれがついていってませんか?これ、首相がそこそこ人気あったらおおごとですよ。
こういう日本的あいまいさって矢作俊彦は嫌う人だと思ってたんだけれども、まあ、緊急事態だからと「異例の措置」でものごとが動いていくダイナミズムってのは、全共闘世代には受けがいいのかもしれません。そういう退屈を嫌うメンタリティってのはたいしたことないように見えて実は一番危険なんですけれどね。


今日は先日書き損ねたものを。