『「ふたつの入り口」が与えられたとせよ』古谷利裕

「あなた」から始められた叙述が、途中から「わたし」の話にもなっていくという予想されたとおりクセのある小説。読者は最小限とも思える情報を手がかりに、この建物はなんなのか、とか「わたし」って何とか、ときには前後の叙述を比較したりしながら想像力を駆使しなければならない。
疲れる。たしかに丹念に読もうとすれば読む力は鍛えられるだろう。しかしそれ以外の果実は少なくとも私にとっては少ない。
丹念に読むということそのものが好きな人にはうってつけなのかもしれない。ハリウッド映画のように決まった見方で操られるように「観る」より、デヴィッドリンチみたいな訳の分からないものをあれこれ解釈して見たい、そういう人もいる。
あるいは抽象画を鑑賞することにも似ているかもしれない。私は見ようとしなければ見えないような抽象画はあまり好きではない、というか視覚芸術そのものにあまり関わり持つ気がない。一部の前衛ジャズのように楽理が分からないものも楽しめる許容度の高いものは好きだ。