『判決』松浦寿輝

このシリーズのなかでは面白い方。平岡のあの性向とからめた話でもあるし。
というか、それどころか、この決して悔悛しないひとたちの「悔悛クラブ」での老人たちとの対話での、平岡の発言「そういうのを文明って言うんだろう」には、ドキリとさせられた。痛いところを突かれた感じで、この言葉はしばらく私のなかに残るな。
どういう文脈でこれが言われたかというと、ある老人が行った大衆社会批判に対してなんだけど、いわく、今の世の中警察に頼らずとも大衆が良識的市民として振る舞い、自ら法の奴隷となって従順に社会の規範にしたがうばかりでなく、率先して悪事を弾劾しようとしやがる、と。このいかにもありがちな、大衆が偉くなってしまった社会への批判というか嫌悪への反論が、それが文明だろ、という。
三島といえば、敗戦直後に、この戦争の真の責任は民衆にある、というような意味のことを言ったくらいエリート主義な人なのだけれど、また別の面では孤高の人というか、付和雷同をいちばん嫌いそうなひと。そのことから考えると、もし生きていたらこう鋭く突いてきてもおかしくないな、と思う。まあありがちな大衆批判などはしなかっただろうなあ、と。だってたとえばこれ書いている私のような凡庸な人間がまさにいま大衆の良識振りを苦々しく眺めているわけで。
このへんの作者の想像力を流石というべきなのか、それとも明治の言論状況を通して近代の成り立ちをじっくり見てきた人の俯瞰の目はさらに高いところにあるのだな、と感嘆すべきなのか。
たとえば5、60年前の大衆がもっていただろう正義に比べれば昨今の正義にはたしかにいくばくかの進歩はあるかもしれないんだよね。先だっての尖閣問題での大衆の言論とかみると、とてもそうは思えなかったり、相変わらずどこもかしこもバカばっかといいたくなるけど、文明の進歩なんてのはこんなふうに遅々として進むものなのかもしれない。
松浦寿輝を少し見直したりして。